人にはヒトの乳酸菌

レポメモ自我考察クソデカ感情の掃き溜めです。

【解釈/自我】Q

未来に進む人たちにそっと寄り添いながら気持ちを押して応援していく本作「何者かよりも、何者でありたいと想い信じ動いていく」進化を止めない原因は自分にある。の歩む未来へと、共に

 

げんじぶにしては珍しい3拍子。サウンドは『藍色閃光』を思わせる壮大さを持つが、高く響くピアノ、細かく廻る掛け合いにげんじぶらしさが滲む。

 

Q.....Question? Quest? Cue?

彼らはquestionのQと言ったけれど私には後者のように聞こえる。

これは原因は自分にある。が聴くものの背中を押す曲であり、と同時に原因は自分にある。が原因は自分にある。自身を鼓舞する楽曲のように思えてならない。

 

もし今何かに対して頑張っている人がいたらこれが応援歌に聞こえるのだろうか?自分の背中を押す曲に聞こえるのだろうか。自分は今これといって頑張れていることがないので、自分に重ねる場所がなかった、、、。また違う思想の時に是非改めて聞いてみたい。

 

 

「悔しさが僕のためになるならもう怖くない なにもできなかったあの日の事を歌いたい」

なんて原因は自分にある。をよく知る人が原因は自分にある。のために書いた詞だと伝わりすぎて心がきつい。

「正しいかじゃなくて 信じてるかなんだ」

これもそう。

「もう理想じゃなくて届きそうな明日へ なにもしないなんて そんなことできないんだ」

とりようによっては皮肉にも聞こえるけどいいの?今までは遠い理想を追っていたけれど現実を見るようになった  /今までは遠い理想のように思えていたけれど現実の範疇にきた

「僕らの自由が 何か奪うなら なにもいらないって 言えるわけないから」

これも、、、

これ、どこを文で区切るかによってかなり解釈が変わるね、、、僕らの自由を何とするか、”何”を何とするか、

単に前を向こうの曲じゃなくて覚悟と苦しさと力強さを持った曲に聞こえるので私は多分とても好きです。

 

最初聞いた時にどこぞの女アイドルさんのような曲!と思ったのだけど多分その理由がじぶにしては珍しく言葉が日常に寄り添っている、、、?テイストは違えど日本の女アイドルさんが持つ親みやすさのような点を持っているのかな、こちらに引きつけやすいというか、、(さっき自分で言ったことと大矛盾している)重なって聞き取り辛いとかは置いといてこんなにも聞いた歌詞をそのまま日本語にできる曲はなかなか久しぶりなんじゃないか?

 

 

彼らの昨日までが全て正解だったとは言わないけれど間違いの数以上にきっとたくさんの喜びがあっただろうしこれから歩む未来にも間違いがないとは言わないけれどその道の全てを正解にしていきたいしその心の声は間違いじゃないし私は彼らという光から絶対に目を逸らしたくない。